2009年2月21日土曜日

乃木希典大将

 作者:崋山宏光へメールする!
 私は乃木大将が大好きだ。別段、映画203高地を観ての感想ではない。ではなぜ好きになったのか?
 なぜ好きになったかといえば私は幼き頃よりよく泣く「泣き虫小僧!」であったからだ。
幼き頃には私が母に何かを求めて、その願いが聞き入れてもらえなかったりすると私はすぐにぐずって泣いた。(生まれ故郷の北海道の地ではこれを称して[だはんをこく]という。)泣くと家事に疎ましくて邪魔になるので更に叱る。叱るとまたまた大泣きとなって「本当によく泣く子だよ~!だはんこくんじゃない!」といって母が呆れていたりすると傍で父が時を得たりとすかさず「泣く子は大きくなったら乃木大将のようになるんだベサッ!」といって私を庇ってくれた。2,3歳の頃にはその乃木大将の意味する処がが全く解ってはいなかったと思うのだが5,6歳になる頃には乃木大将像を事細かに父が私に語って聞かせてくれていた。
 そんな幼少期があって私は乃木希典(のぎ まれすけ)という人物に親近感を抱いてなんだか私の心の中のご先祖様の独りになっている。東京の青山墓地の方角から赤坂の乃木坂に至る赤坂トンネルを抜け出た左上に乃木神社・乃木公園や旧邸があって私が東京に在していた頃には数度となくよく訪ねて偲んだ。
 然し、人とは想いとうらはらな人生を歩んでしまう。私もそんな例に漏れずして、今沖縄の地に一人生きてこのような文章を綴ったりしている。取り立っててこういう人生に価値を認めていない訳でもなくそれなりに生きているのだが父親の立場からすると随分と歯がゆく思ってしまう人生を送っているには違いないだろうなど考えて親不孝を反省したりしている。
 それでも今まで描いてきた人生模様は敬愛する大先達・乃木希典大将の偉大さには及び様が無い私だが乃木大将のように人の憐れに涙する心だけは随分と持っていて引けをとらないと思うほどである。いわゆる論語にある【仁の心】はかの乃木大将に比肩できると自負している。そういった意味合いで人生の価値基準を測るとすれば自分自身に100点満点はないが概ね60点はあると納得している。此の頃幾ばくか父が望んだ「乃木大将のような大人になる」と謂う言葉の意味が何を意図していたのか少なからず見えてきたような気がする。   平成21年2月21日(土)