2009年4月6日月曜日


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 老子 書き下ろし文 書:作者自筆 抜粋




 解説はなしです。(理由:面倒=自分で調べて勉強してください!)








書:作者自筆に意見する!

2009年2月21日土曜日

乃木希典大将

 作者:崋山宏光へメールする!
 私は乃木大将が大好きだ。別段、映画203高地を観ての感想ではない。ではなぜ好きになったのか?
 なぜ好きになったかといえば私は幼き頃よりよく泣く「泣き虫小僧!」であったからだ。
幼き頃には私が母に何かを求めて、その願いが聞き入れてもらえなかったりすると私はすぐにぐずって泣いた。(生まれ故郷の北海道の地ではこれを称して[だはんをこく]という。)泣くと家事に疎ましくて邪魔になるので更に叱る。叱るとまたまた大泣きとなって「本当によく泣く子だよ~!だはんこくんじゃない!」といって母が呆れていたりすると傍で父が時を得たりとすかさず「泣く子は大きくなったら乃木大将のようになるんだベサッ!」といって私を庇ってくれた。2,3歳の頃にはその乃木大将の意味する処がが全く解ってはいなかったと思うのだが5,6歳になる頃には乃木大将像を事細かに父が私に語って聞かせてくれていた。
 そんな幼少期があって私は乃木希典(のぎ まれすけ)という人物に親近感を抱いてなんだか私の心の中のご先祖様の独りになっている。東京の青山墓地の方角から赤坂の乃木坂に至る赤坂トンネルを抜け出た左上に乃木神社・乃木公園や旧邸があって私が東京に在していた頃には数度となくよく訪ねて偲んだ。
 然し、人とは想いとうらはらな人生を歩んでしまう。私もそんな例に漏れずして、今沖縄の地に一人生きてこのような文章を綴ったりしている。取り立っててこういう人生に価値を認めていない訳でもなくそれなりに生きているのだが父親の立場からすると随分と歯がゆく思ってしまう人生を送っているには違いないだろうなど考えて親不孝を反省したりしている。
 それでも今まで描いてきた人生模様は敬愛する大先達・乃木希典大将の偉大さには及び様が無い私だが乃木大将のように人の憐れに涙する心だけは随分と持っていて引けをとらないと思うほどである。いわゆる論語にある【仁の心】はかの乃木大将に比肩できると自負している。そういった意味合いで人生の価値基準を測るとすれば自分自身に100点満点はないが概ね60点はあると納得している。此の頃幾ばくか父が望んだ「乃木大将のような大人になる」と謂う言葉の意味が何を意図していたのか少なからず見えてきたような気がする。   平成21年2月21日(土)

2009年1月24日土曜日

さめざめと雨や降りたる・・・

批の処ところ2,3日南風があって春の萌しを嬉しく感じていたが寒がぶり返すと寒さひとしを!膝掛にダウンの上着を用いて寒さを凌ぎパソコンに対峙しているが流れ落ちる鼻水に憂鬱を覚える。
暫し思い巡らし草稿の案など練ろうと試みもするが如何せん文才の無に等しき我に道為し、考するに及ばざるが為るなり。と言った処だ。
母が生前私に善く語っていたことに話や文章に其の始めたる処が思い浮かばない時は季節、天象、地象をテーマにしなさいと言っていた。まさしく私は今そうしている。是もま先達の訓え也哉。

 作者:崋山宏光へメールする!

2009年1月20日火曜日

こんな話、あんな話・・・

今日は、空港にさっちゃんを迎えに行く日だ。さっちゃんとは私の孫だ。久しぶりに会うさっちゃん・・・。幼き日の私との日々を覚えているだろうか?少し心配だ。空港に向かう道中、車を運転しながらも昔の懐かしいさっちゃんの顔を想い浮かべて時の流れの早きことなど思いノスタルジックに浸った。孫と言う呼称が似つかわしくなくなってしまうほど年輪を重ね。気高き大樹ののような尊厳さと偉大さを身につけたさっちゃん。逆に言うとその年月の流れが私の若さを奪い、寿命の尽きる日の訪れの近きを思い知らしめてくれる。
・・・とこんな風な物語を創りたいのだが自動小説生成ソフトなどを誰か開発してみては如何だろうか。自分でやれョッ!と声が聞こえてくるがそんな才能はかなしいかな持ち合わせがない。世間は広いからこんなもん簡単に作ってしまう方がきっといらっしゃると思うんだが。どうだろうか?それにこんなソフトで創られた小説の大賞部門があったりすると世の中もっと面白くなるだろうなと、面白いことを考えたりしている。
 どなたか、この意見にコメントを・・・。

 作者:崋山宏光へメールする!

名は体を成す

2009年1月19日月曜日

人の性は悪

人の性は悪、其の善なる者は偽為り。今人の性生まれながらにして利を好むこと有り、是に順ふ、故に争奪生じて辞譲亡ぶ。生まれながらにして疾悪すること有り、是に順ふ、故に残賊生じて忠信亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲有りて、声色を好むこと有り、是に順ふ、故に淫乱生じて礼儀文理亡ぶ。


 作者:崋山宏光へメールする!

so what!

 作者:崋山宏光へメールする!

2009年1月18日日曜日

政治を感じてみよう・・・

 作者:崋山宏光へメールする!

 主権在民、自由民権、この言葉の本来の意味を私を含め多くの日本のかたがたは理解しているのだろうか。まず私は過去ある教養の高い女性のかた、たぶん名のある大学先生であったのだろうとと後日自分で勝手に理解してのだが、そのかたに突然あなたは自由ということについてどんな理解をお持ちですか?と23.4歳の頃に問われたことがあった。その時には自由奔放に遊び耽っている最中であって其の時は未だ寡って思考の末端にさえ出現したことのない語彙を突然に意味を述べろと求められて年甲斐もなく質に窮した経験がある。

 あくまでも私的意見だが大半の方々が私と似たり寄ったりではないのかと思う 。これがやはり戦中派の方々にとっては日常的に反芻するべき大きな問題で自由は与えられそれを自分が使わないと風化してしまうと教わった。政治に疎く関心を傾けられないでいる私にとって結構壮大なテーマーである。

今回はこの根源、自由民権について私の思うところを述べてみたい。

自由民権とはなんだろうか?

まず自由という語彙に言及してみよう。まず驚いたことに自由には

「フリーダム; freedom」と「リバティ; liberty」(出展:WIKIPEDIA)と二つの語彙が存在してそれが微妙に言葉の意味を違えているということである。私にしてみるとなんとも「へ~・・そうなんだ?」と感心させられてしまいます。言葉の違いだけではなくって近代史観的な考察や文献の記述にも明らかな差異が存在するということでありました。

一概に全体主義反体制的に考えたりして自由主義を唱えることと決め付けるものではないことをこの都市にして初めて知りえました。

ところでいまの日本の社会は民主的な自由国家として世界的に比較しても先進的な思想を全体が認識している国の部類に属するのだろけれど、今や国家の体制、や組閣の実情から見て立憲君主国としての権威たるもの既にして地に落ち泥にまみれんとしている。而してこれを救わんとする者寡く、名を示すに困窮たる現状。僅か小沢一郎殿ひとりが気を吐き日本を正しき道(あくまでメディアからの主観)に導かんとしている。この政治情勢を政治オンチの私が偉そうに批判するのもおこがましいのですが?

こんなにも日本国に人材が枯渇しているのだろうか。これが本当に相なのであれば明らかにこれまでの戦後教育のつけがまわって来たというっても過言ではないと思う。別段日教組批判など行うつもりではない。逆に私は個人的に日本の先生方はすばらしい方々が多いと感謝している。しかし、どう迂回してみても人材の枯渇・荒廃の責任は全体的教育政策の現われだと思う。

ここまで記していて機と気づいた。もしかして人間「食足りて騒がず」。なのかも知れない~・・・?と

それにしても今一度日本人として先人の遺せし訓え(憲法七か条:出典聖徳太子御誓文:出典:坂本竜馬他;井藩出身の参与由利公正が、坂本龍馬の船中八策と似ている部分が多い議事之体大意五箇条を起案し、参与東久世通禧を通じて議定兼副総裁の岩倉具視に提出した)をみなおし原点に立ち返ることがなければいずれ国は崩壊し人心は荒廃し安息の地は害われてしまうのであろうに。とにかく総理の大臣の交代に汲々とする現状を打破していただかないとこの国の自立は困難になってオバマ大統領に委ねなくてはいけなくなってしまうのではないだろうか。

とりあえず国の基本政策を経済中心の物質主義的主導を世界レベルでの施策の方向性に変換して財布の中身を気にしながらの隣人付き合いと決別すべき時代であると思う。援ける時は借り手でも助けろと我が亡父が家訓として私に伝えている。といってもない袖は振りようがないのだが・・・・。

ozzylog@live.jp

ozzy崋山