主権在民、自由民権、この言葉の本来の意味を私を含め多くの日本のかたがたは理解しているのだろうか。まず私は過去ある教養の高い女性のかた、たぶん名のある大学先生であったのだろうとと後日自分で勝手に理解してのだが、そのかたに突然あなたは自由ということについてどんな理解をお持ちですか?と23.4歳の頃に問われたことがあった。その時には自由奔放に遊び耽っている最中であって其の時は未だ寡って思考の末端にさえ出現したことのない語彙を突然に意味を述べろと求められて年甲斐もなく質に窮した経験がある。
あくまでも私的意見だが大半の方々が私と似たり寄ったりではないのかと思う 。これがやはり戦中派の方々にとっては日常的に反芻するべき大きな問題で自由は与えられそれを自分が使わないと風化してしまうと教わった。政治に疎く関心を傾けられないでいる私にとって結構壮大なテーマーである。
今回はこの根源、自由民権について私の思うところを述べてみたい。
自由民権とはなんだろうか?
まず自由という語彙に言及してみよう。まず驚いたことに自由には
「フリーダム; freedom」と「リバティ; liberty」(出展:WIKIPEDIA)と二つの語彙が存在してそれが微妙に言葉の意味を違えているということである。私にしてみるとなんとも「へ~・・そうなんだ?」と感心させられてしまいます。言葉の違いだけではなくって近代史観的な考察や文献の記述にも明らかな差異が存在するということでありました。
一概に全体主義を反体制的に考えたりして自由主義を唱えることと決め付けるものではないことをこの都市にして初めて知りえました。
ところでいまの日本の社会は民主的な自由国家として世界的に比較しても先進的な思想を全体が認識している国の部類に属するのだろけれど、今や国家の体制、や組閣の実情から見て立憲君主国としての権威たるもの既にして地に落ち泥にまみれんとしている。而してこれを救わんとする者寡く、名を示すに困窮たる現状。僅か小沢一郎殿ひとりが気を吐き日本を正しき道(あくまでメディアからの主観)に導かんとしている。この政治情勢を政治オンチの私が偉そうに批判するのもおこがましいのですが?
こんなにも日本国に人材が枯渇しているのだろうか。これが本当に相なのであれば明らかにこれまでの戦後教育のつけがまわって来たというっても過言ではないと思う。別段日教組批判など行うつもりではない。逆に私は個人的に日本の先生方はすばらしい方々が多いと感謝している。しかし、どう迂回してみても人材の枯渇・荒廃の責任は全体的教育政策の現われだと思う。
ここまで記していて機と気づいた。もしかして人間「食足りて騒がず」。なのかも知れない~・・・?と
それにしても今一度日本人として先人の遺せし訓え(憲法七か条:出典聖徳太子、御誓文:出典:坂本竜馬他;井藩出身の参与由利公正が、坂本龍馬の船中八策と似ている部分が多い議事之体大意五箇条を起案し、参与東久世通禧を通じて議定兼副総裁の岩倉具視に提出した)をみなおし原点に立ち返ることがなければいずれ国は崩壊し人心は荒廃し安息の地は害われてしまうのであろうに。とにかく総理の大臣の交代に汲々とする現状を打破していただかないとこの国の自立は困難になってオバマ大統領に委ねなくてはいけなくなってしまうのではないだろうか。
とりあえず国の基本政策を経済中心の物質主義的主導を世界レベルでの施策の方向性に変換して財布の中身を気にしながらの隣人付き合いと決別すべき時代であると思う。援ける時は借り手でも助けろと我が亡父が家訓として私に伝えている。といってもない袖は振りようがないのだが・・・・。
ozzylog@live.jp
ozzy崋山
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